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いつか死ぬことを忘れられないまま生きる

カテゴリ:雑談  投稿日:2014/04/05

うたたねをして夢の際にいるとき、澱んだ意識が、いつか死ぬであろうことを考えている。

いつも頭に浮かぶのは、手足を縛られ、目隠しをされて、ベルトコンベアのようなものでぐんぐんとどこかへ運ばれていく姿だ。ベルトコンベアの先に崖が待ち受けていることだけは分かっているのだけど、その崖までの距離も到達までの時間も分からない。ただ、ベルトコンベアが止まることはなく、いつか必ず崖に辿り着くことになっている。どうにかしなければ、とは思うのだけど、どうにもならないことを知っている。手も足も出ない。崖から逃れることは誰にも出来ない。

多くの人が幼い頃に一度は抱く死への恐怖。自己という存在の消失。ご多分に漏れず僕もそのことで幼いころ狂乱し、母に慰められ、一度はなんとかそれを忘れることができた。しかし今はもうだめだ。ごまかしがきかない。僕は死ぬのだ。

恐怖の解消法として「後悔のない人生をおくる」とか「死んだあとも残る足跡を刻み込む」とかいった類いのお為ごかしを目にし耳にするが、そんなことが自己の消失を解決してくれるはずはない。

かつて、親しかった友人が自殺した。彼が死んだ瞬間の、彼の一人称視点の認識が上手く想像できない。自己が散って消滅するとはどういうことなのか、ここより先の時間が存在しないとはどういうことなのか、意味が分からなくなる。彼も理解することなく消滅したのだろう。

僕は現象だ。現象をどこかへ移し継続することはできないだろうか。自己の連続性とはなんだろう。

100年後には大体みんな死んでいる。世界中の70億人のほとんどが死んでいる。それなのに今日を平然と生きなければならない。もしかしたらあと少しで崖かもしれないのに。



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“いつか死ぬことを忘れられないまま生きる” への2件のフィードバック

  1. 牛野小雪 より:

    出来ることなら永遠に時間を止めたいですよね。
    日々何かが変化するけれど大きな尺度でみれば同じようなことを繰り返す永遠の日常で暮らしたいです。
    もしくは生も死も無い意識だけの存在になって宇宙の変還をながめるとか。

    私も未だに死ぬのが恐くなる時がありますよ。
    陽が明るいうちはハミングをして気を紛らせますが、夜だとずっと眠れない状態になります。
    でもそんな時に限って文章が浮かんできます。死への恐怖を文章に転化しているのかもしれません。そういえばむかつくことがあってもやっぱり文章が浮かびます。でも、嬉しいことだと浮かばないんですよねえ。皮算さんはそんなことありませんか?

    死んだあとの自分がどうなるかは謎ですが、生まれる前の自分がどうだったか?やっぱりこっちも謎です。
    小さい子に生まれる前は何だったか聞くと、前世を話すこともあるそうですが、それが創作だという可能性は捨てきれない。それに前世の前世は何か?それを無限に突き詰めていくとやっぱり答えは出そうにない。

    書いていて何だか分からなくなってきました。
    まあ時に死にたくなることもありますが、やっぱり死ぬのは怖い。
    まずはサンプルで10%ぐらい人生に死をダウンロードできたらなと思います。もちろん怖くなったら人生から削除。人生をじゃないですよ、死の方をです。
    でもそれができるようになると、なんだ大したことないなと死ぬ人がいっぱい出てきたりして(笑)

    牛野小雪より

    • 皮算積人 より:

      永遠の消滅も怖いですし、無限の生も怖いですねぇ。一番望んでいるのは、死の選択肢を残したまま永遠に日常を生きられることのように思います。
      僕の場合、言葉にすべきことが浮かんでくるのは、答えを出すべき問いがあるときです。ネガティブな感情がその問いの根になることも多いですね。悲しかったり後悔しているとき、その感情を溶かしてくれる思考を探すんです。まわりまわってそれが小説の種になっているのかもしれません。

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