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竜王の国 第一話「小鬼とノラ」

カテゴリ:小説 , 竜王の国  投稿日:2012/10/13

 太陽は、山の端に隠れようとしている。夜の帳の下りるのを待たずして、既に森は闇に包まれていた。エドナは、先刻の村人達とのやりとりを思い出していた。
(やっぱり、無茶だったかな。でも駄目、朝を待ってたら、絶対に間に合わない)
 幾度となく繰り返した葛藤。しかし、エドナの足は前に進むしかなかった。遠くに聞こえる梟の声と、自分の息づかい、落ち葉を掻き分ける足音だけを聞きながら、そしてその中に別の音が紛れ込んでいないか、神経を張り巡らせながら、その場所を目指した。背中に担いだ狩猟用の弓は、彼女でも手軽に扱える小さなものであったが、今はそれに縋るしかない。「巣」の場所はおおよそ分かっている。いつもは避けて通る場所だった。
「すぐにいくから、ノラ」
 小鬼達に連れ去られた妹に向けた言葉は、誰にも届かない。それでも彼女は、自分にも聞こえないくらい小さな声で、何度も呟かずにはいられなかった。
 やがて、大人の足なら跨げるぐらいの小さな川に出た。ここから先は、完全に小鬼達のテリトリーだ。普段なら、この小川にも近づかない。エドナは小川の前で立ち止まり、弓を右手に、矢を一本だけ左手に持ち、深く息をしてから、小さく跳ねて小川を飛び越えた。
 普段感じない、異様な怖気が肌を刺すのを感じながら、慎重に歩みを進める。これが殺気というものだろうかとエドナは考えていた。そして、殺気を出さねばならないのは、自分の方だとも思った。
 月明かりも覚束なかった夕刻の森は、もう完全に夜の森に変わっていた。だがエドナは松明もランタンも、敢えて使わずにいた。なるべく気づかれずに近づきたかったからだったが、迷わずにここまで辿り着けたのは運が良かったのだろう。手元に明かりが無いお陰で、遠方の小さな明かりを早いうちから見つけられた。
 小鬼達は、人間ほどではないにしろ、知性がある。社会性も持っている。そこに見つけたのは、巣を見張っているらしい、三匹の小鬼であった。浅黒い肌、曲がった背中、人のものより一回り大きな眼球、そして額から突き出た二つの角が、洞穴の両脇で煌煌と灯る火に照らされて、悍ましさを増していた。エドナは大きめの木の陰を選びながら、ゆっくりと近づく。矢を射った後のことを考えると、正面から攻めるよりもどちらかの脇からの方が良い気がした。脇には洞穴に沿った傾斜があるから、全方向を気にしなければならない正面からよりはましだと考えた。
 エドナは右を選んだ。まだ小鬼達は気づいていなかった。ゆっくりと弓を引き絞る。二本以上同時に射ることはできない。よく狙って射って、一撃で仕留められたとしても、一匹だ。後の二匹は、すぐにエドナの方へ向かって来ることは容易に予想出来た。しかし、エドナは射った。そうせざるを得なかった。エドナには、それが戦力の全てだったから、他に方法など無かったのだ。
 矢は一直線に一匹の小鬼を目指し、そのまま首に突き刺さる。哀れな小鬼は、どこから何をされたのか理解する前にそのまま地に伏した。朦朧とした意識の中で、何者かに首をやられたのだと気づくのかもしれないが、その認識が行動に影響を与えることはない。残る二匹が真っすぐにエドナの方を見た。エドナは立て続けに矢を構える。だが、小鬼達は奇怪な声を上げながら、エドナ目がけて走り出していた。迫り来る二つの殺意にエドナは焦った。手汗が左手にじんわりと滲み、それが射撃精度を落とした。射った矢は二匹の間をすり抜けていく。
 二秒もすれば二匹はエドナに辿り着く。エドナは、次の矢を構えなかった。その代わり、足に括り付けたホルダーに収まったナイフの柄を左手で握った。二匹がエドナに殴り掛かろうとした瞬間、そのナイフを引き抜き、一匹の顔面に突き立てる。捨て身の攻撃だった。もう一匹の攻撃を躱せるはずはなく、右側頭部を思い切り棍棒のような物で殴りつけられた。
 落ち葉の上を滑りながら、エドナは倒れた。すぐに起き上がろうとしたが、視界は歪み、耳鳴りが外界の情報を遮断していて、足も言うことを聞かない。耳鳴りの向こうで薄らと小鬼の雄叫びが聞こえた。あるいは慟哭なのかもしれない。エドナにとって幸いなことに、小鬼は追い打ちをかけてこなかった。エドナの五感が戻るまでの五秒間、小鬼は天を仰ぎ、あらん限りの声を絞り上げていた。
 エドナは膝をたて、弓を構えた。ナイフで襲いかかる程度の動きが、今の足では望めなかった。未だ視界は歪んでいたが、狙いを定め、それが中ることを信じて、射った。矢は、すぐに小鬼の腹に突き刺さった。
 小鬼はその場に仰向けに倒れたが、痛みに悶えていた。エドナは、ふらつく足を引きずり、小鬼のそばまで歩く。そして、ナイフを小鬼に向け、二度三度と、繰り返し突き刺した。
 声はしなくなった。エドナはその場にへたり込み、切れ切れの息を整えた。傷は負ったものの、一人で三匹を仕留められたのは、彼女にとっては出来過ぎだった。しかし、それでもまだ、たった三匹なのだ。
 最後の一匹の叫びは、洞穴の中にまで届いている。洞穴の中には、本当の巣がある。中に何十匹、何百匹いるかも分からない。たった三匹にこれほど苦戦していては到底勝ち目が無いことは、火を見るよりも明らかだ。エドナもそれは承知していた。そんなことは、村の人たちに散々言われて、それでもここまで来たのだった。
 エドナに残された、唯一の家族。ノラは、エドナのたった一人の肉親なのだ。戦で親を失い、流れてあの村までやってきた。村の人たちの温情もあって、なんとか住むところも得、それからはずっと姉妹二人で力を合わせて、今まで生きてきたのだ。二人だったからやってこれた。ここでノラを失ったら、エドナは世界と運命を呪う以外に、生きる道を無くすだろう。だから、命を賭してノラを救わなければならなかった。
 エドナは立ち上がった。洞穴の上部は小高い丘になっており、そこにも木は生い茂っている。ふらつきながら丘に登り、木の影の一つに身を隠した。
 少し待つと、大勢の足音が次第に大きくなるのが聞こえた。そして洞穴から一匹の小鬼が飛び出し、三匹の死体を検めると、一言声を洞穴に向けた。それに応じて、十匹ほどの小鬼達がぞろぞろと出てきた。数匹が死体を洞穴内へ運び、残りは散って辺りを探り始めた。洞穴付近から小鬼達が見えなくなった後、エドナは傾斜を滑り降り、洞穴前に着地した。エドナはナイフを構え、足音を殺して洞穴内へと進んだ。
 穴の中は、やや下り坂の通路になっていて、予想外の足下にエドナはよろめいた。暗闇の中、奥に見える明かりだけが唯一の標である。腰を屈めながら、光に近づいていく。
 光は、通路の途中にある大部屋の入り口から漏れていたものだった。数十匹はいる小鬼達の喧しい声も漏れている。エドナはそこから中をのぞき見た。部屋の中央に大きな鍋の様なものがつり下げられ、下から火が焚かれている。壁面上部には通気口と思しき穴があいており、煙はそこから外に出ている。小鬼達はその鍋を囲むように円形に並び、歌と踊りに興じていた。兎や猪の死体が積まれており、そこから乱暴に肉を刻んで鍋に投げ入れる係もいる。
 エドナは、その死体の山の中に、ノラの姿が無いことを祈った。エドナの位置からでは仔細を知ることは出来なかったが、人の形をしたものが見当たらなかったことに、少しの安堵を覚えた。
 大部屋をやり過ごしたエドナは、他の部屋を探すことにした。大部屋入り口より奥には、小さな明かりが所々に括り付けられている。エドナはそのとき初めて、この通路がかなり大きなものであることに気がついた。大の大人が十人、横並びに大の字に手をつないで歩いても、余るくらいの幅があった。天井も高く、やはり通気口と思われる小さな穴も幾つか見られた。
 通路では、小鬼と出くわさなかった。殆どが先ほどの大部屋に集まっているのだろう。次に辿り着いた部屋の中を、エドナはまたそっと、覗き込んだ。
 その部屋にも薄明かりが灯っていた。一見したところ小鬼の姿はなく、すっかり静まり返っていた。部屋の奥に、格子が見られた。もしかして、とエドナは思った。ゆっくり辺りを見回しながら、部屋に侵入した。
 小鬼はやはりいなかった。そして、部屋の奥の格子の向こうに、誰かが倒れているのが見えた。もっと近づいて見てみると、それはノラだった。
「ノラっ」
 思わず、エドナは大きな声を出しそうになる。ノラは今眠らされているのだろうか、それとも息絶えているのだろうか、薄明かりの格子越しでは、正確な判断は下せなかった。どこか開けられないかと探して、小さな扉に大きな錠がかけられているのを見つけた。エドナは舌打ちをした。あの魔物が錠などという器用なものを作る技術を持っていることが信じられなかった。あるいは作ったのではなく、人間から奪って利用しているだけなのかもしれない。
 錠に合う鍵を手に入れることは難しい。そこらに置いてあるとは到底思えなかった。恐らく小鬼のうちの一匹の懐にあるのだろう。あれだけいる中からその一匹を見つけることは至難であるし、よしんば見つけられたとしても、他の者に気づかれずにその一匹だけを始末することは不可能だろう。巣を殲滅する力を持たなければ鍵が手に入らないのなら、この錠を力任せに壊すことの方が現実的な手段だとエドナは考えた。だから、再びナイフを手に持ち、錠の最も細い部分を叩き続けた。
 甲高い金属音を鳴らして、ナイフの刃をこぼしながら、すこしずつ錠は砕けていく。エドナの希望を乗せて、ナイフは身を削りながら幾度も錠にぶつかった。そしてその響きが洞穴内に響き渡っていることに、エドナは気づかないでいた。だから異変を感じた小鬼達が、エドナのすぐ後ろに立っていることにも気がつかなかった、そして、エドナの後頭部に棍棒が振り下ろされた。
 
 薄らぼんやりとした意識が像を結ぶまで、どれくらいの時間が経ったのか、エドナにはわからなかった。どのくらい気を失っていたのかも、よくわからない。そこは外からの光も差し込まない場所なのだ。
 エドナは後ろ手に縛られ、足も縛られていた。全身がズキズキと痛み、頭は軋み、口の中には血の味が広がり、そこかしこに無数の痣ができていた。頭を殴られてからの記憶が無いが、その後も殴られ続けたのだろう。今意識があり、生きていることが奇跡と言えた。
 何故奴らが自分を殺さずにおいたのか、エドナははっきりしない意識で、痛みに遮られながらも考えた。小鬼達は人間を食糧にしているらしいから、恐らく「生きの良い肉」の状態にするため、生かしておいたのではないかと予想した。死んだら、早いうちに食べなければ腐ってしまう。己を肉として捉える思考に、エドナは苦笑を漏らした。
 だが、それなら、ノラは今どうしているのか。エドナは辺りを見回したが、誰の姿も無かった。しかしどうやら、ここは先ほどノラが閉じ込められていた場所に相違なかった。ノラは連れ出されていたのだ。
(だとしたら、ノラは、もう……)
 エドナは頭を振った。それに呼応して鋭い痛みが走り、エドナは唸った。力の及ばなさが情けなく、痛みに喘ぐしかない自分の姿に、嘆いた。涙が頬を伝い、そのままエドナは力なく横たわった。
 それからどれくらいの時間が経過したのだろう。エドナは、ときどき思い出したように「ノラ」と呟き、そのたび涙を滲ませた。心は折れ、耐えて死を待つのみの哀れな姿である。もはや希望は無く、しかしエドナは自ら命を絶つことを考える気力さえ残されてはいなかった。
 エドナは何度か、気を失うように短い眠りについた。その何度目かの目覚めのとき、遠くから響くたくさんの小鬼達の声が聞こえた。それは決して楽しげな声ではなく、絶叫に近かった。それに続いて、低い轟音が何度かエドナの耳に届いた。そしてまた、繰り返される叫び。それに混じって、人の声に似た音も聞こえてくるようだった。
(誰か、助けに来てくれたのかな)
 エドナはぼんやりと考えた。しかしそれも今のエドナにとっては決して心躍る出来事ではなかった。
 何者かが部屋に入ってくるのが見えた。人間のようだった。その人物はエドナのいる檻の前まで来る。エドナは地面に耳をつけたままその人物を見上げた。
「すぐにそこから出してあげる。ちょっと待ってね」
 その人物は持っていた鍵で開錠し、エドナの拘束を解いた。そして、抱えるようにエドナを助け起こして、腰に掛けたランタンを片手に持ちかえ、エドナを照らす。
「こっぴどくやられたのね。でも、もう大丈夫。あたしたちが村まで送ってあげるからね」
 エドナはそのとき、その人物が女性であると初めて気づいた。ヘルムの下で束ねた金髪でエドナの鼻先をくすぐりながら、女性は入り口に向かって呼びかけた。
「トム! こっちにもう一人いるから、来て!」
 遠くから小さく返事が聞こえた気がした。エドナは、女性に問うた。
「あの、ノラも、もしかして」
「ノラっていうの? 十歳ぐらいの女の子なら保護したけど。怪我はないよ」
 それを聞いてエドナは、大粒の涙をこぼしながら、嗚咽した。一度は諦めた希望が戻ってくるとは思っていなかった。
 少しすると、全身を重そうな鎧で固めた大きな人物一人と、軽い装備をしている人物二人が入ってきた。軽装の二人のうち、一方は結んだ黒い髪と褐色の肌、もう一方は金髪の上品なショートヘアを、兜の下から覗かせていた。いずれも男性のようだ。そして、金髪の男性に手を引かれて、よく知った少女がいた。
「ノラ」
 エドナが声を掛けると、ノラは引かれていた手を離して、姉の元に駆け寄った。
「お姉ちゃん、ごめんね、ごめんね」
「いいよ、良かったね、二人とも無事だったね」
「無事じゃない、お姉ちゃんはこんな……」
 ノラは口を噤んだ。「ボロボロになって」と言ってしまいそうだったが、それを言えば姉は傷つくかもしれないと思った。
「無茶をなさいましたな。今あなたに命があるのはただの幸運ですぞ」
 全身を鎧に固めた人物は兜を上げ、白髪と豊満な髭を見せながら厳めしく言った。顔の皺からも、老人と呼んで差し支えない年齢に見えた。それに続くように、黒髪の人物が忠告した。
「それに、君もそうだがそちらのお嬢さんも全く無事というわけにはいかないようだ」
 エドナはノラの頭を撫でていた。そのとき、ノラの額に妙な突起があるのを感じた。再び胸に不安の種が蒔かれた。
「それは、どういう……」
 鎧の老人が、尋ねるエドナを助け起こす後ろで、金髪の男性が言った。
「それは道々お話ししましょう。まだゴブリンも残っているかもしれませんから、注意して」
 
 エドナは鎧の老人に背負われながら、ノラは金髪の男性に手を引かれながら、ランタンに照らされた森を村へ向かっていた。黒髪の男性と金髪の女性はいつ何に襲われても平気なように、前後に注意を払っていた。金髪の男性がエドナに話しかけた。
「あなたも気がついたかもしれませんが、ノラさんの額には突起物があります。あれは、先ほどの魔物、ゴブリンの角と同じものです」
 エドナは、震えて訊いた。
「ノラは、何をされたんですか」
「ノラさんが怪我もなくいられたのは、他でもなくゴブリン達が自分達の仲間にしようと考えたからです。あのゴブリンという生き物は、自然発生的なものではありません。ある特定の薬を飲むことによって、人間の子供の姿が変化したものなんです。ですから、彼らも元々は人間だったということになりますが、あの姿になってしまうと、人間だった頃の記憶はほとんどなくなり、怪物になり果ててしまうのです」
「つまり、ノラは、あれに……ゴブリンになってしまうというんですか?」
 恐るべき告知に、エドナは息を飲む。ノラは俯いていた。
「完全なゴブリンになるには、その薬を数週間にわたり繰り返し摂取する必要があると聞きます。ノラさんは今日飲まされたものが初めてだと先ほど伺いました。その場合、少なくとも完全なゴブリンにはなり得ません。ただ……角は、今後大きくなるでしょう。そのとき、ノラさんが今までと同じように生活できるかは、わかりません」
 エドナはノラを見た。ノラは先んじて話を聞かされていたため、あらためて大きな動揺を見せなかった。それよりも、姉に迷惑をかけていることに対する、謝罪の表情を表していた。エドナは、それ以上の言葉を失ってしまった。
 ノラがこの後の人生で、まともな人間として扱われなくなるかもしれない。エドナは悔しくて仕方がなかった。なぜ、妹はそんなに辛い目に遭わなければならないのか。まだ十一歳の小さな娘だというのに、それほどの過酷な運命を背負わされる業があるというのか。唇を噛むエドナの姿を見て、黒髪の男性が言った。
「だが、希望がまるきり無いわけではない。ゴブリンの薬は、元々は魔女の伝承に出てくる怪物の薬と同一のものだと聞く。魔女は、人間を怪物にするのも元に戻すのも自由自在だという伝承だ。であれば、元に戻すための薬もあるのかもしれん。その存在を確かめたわけではないがな」
「魔女」
 噂や昔話には聞く呼称であったが、それを身近なものとして感じたことはエドナにはなかった。
「それって、どうすれば見つかりますか」
「今のところ、実際にその薬や魔女を見つけた者は知らん。いるのか、いないのかも分からん。俺は一つの可能性を言っただけだ。期待に添えなくてすまんな」
 エドナは周りを見回したが、皆同様の表情をしていた。蜘蛛の糸ほどの細い可能性だということを、皆が伝えているようであったが、希望がそこにしかないのであれば、どんなに細い糸であろうと、それにしがみつくしかないのであった。だが、今はまだ、進展しようがなかった。エドナの口の中に血の味がまた広がった。
 その後で、エドナは急に、この集団がどういう集団なのか、気になった。人が良さそうな集まりであることは既に感じていたが、名前も知らなければ目的も何も分からない。
「ところで、みなさんはどういった……」
 エドナは縮こまりながら訊いた。そして、自分も名乗っていないことに気がついた。
「あ、あの、わたしエドナと言います。助けていただいて、お礼も言わないですみません」
 そう言うと、金髪の男性は、思い出したように応えた。
「こちらこそ失礼しました。まだ自己紹介をしておりませんでしたね。私はケネスと申します」
 続けて、背中の向こう側から老人の声がする。
「私はハーマン。今はケネス様を側でお守りするのが課せられた使命です」
「ハーマンは、いくつもの戦争で名を轟かせた英雄です。本当なら、私の子守など勿体無い戦士なのですが」
 ケネスが挟んだ言葉にハーマンは恐縮した。
「滅相もない。かような重大な使命、他の者には任せられません。もっとも、寄る年波には敵いませんがな」
 エドナは、その巨体に背負われながら、この老人の戦いぶりを想像した。老いてなお健在なのだろう。身を包む甲冑は、普通の人間では持ち上げることも困難そうだった。
 金髪の女性が続いた。
「あたしはモニカ。こんななりだけど一応医者やってます。とは言っても、こういう旅をしてると『戦うお医者さん』じゃないといけなくてね、少しは武芸の嗜みもあるのよ。凄いでしょ。それで、そっちは」
 モニカが指をさすと、黒髪の男性は掌をモニカに向けて制止した。
「俺はトーマス。専門は長弓だ。そこの爺さんと同じく、ケネス様を守るためにいる。恐らくエドナ君やノラ君とは同郷だろう」
 トーマスの黒髪や褐色の肌は、確かにエドナやノラのそれと同じだった。褐色の肌が示すのは、その人物が元々は移民としてこの国に流れてきた民族の子孫だということだった。そして、その移民達の村の一つは、先の戦争で焼け野原となった。
 それにしても、とエドナはケネスを見た。この人物は先ほどから「様」を付けて呼ばれているが、一体何者なのだろうか。
「もしかして、ケネスさんって、とても偉い方なんでしょうか」
 エドナはハーマンの肩越しにモニカに尋ねた。モニカは少し驚いた顔で返す。
「あれ、知らない? この国の第一王子、次期王位継承権第一位のケネス様よ。まあ、みんながみんな、顔を知ってるわけじゃないか」
「お、王子様」
 エドナはますます縮こまった。しかしなるほど、英雄と呼ばれる人が護衛にあたるのも、対象人物が王子とあらば納得がいった。
「気にせず、ケネスとお呼びください。ここは王宮ではありませんから」
 そうこうするうち、一行は村にたどり着いた。
 
 エドナは目を覚ました。辺りは暗かったが、そこが室内で、自分がベッドの上で目を覚ましたことはすぐにわかった。このガサガサ鳴る干し草のベッドは、間違いなく自宅のものだった。右隣を見るとノラが寝ている。しかし、眠りにつくまでの記憶がはっきりしなかった。
 室内に、普段だったら夜中には点けない明かりが灯っているようだった。痛みをこらえながら左に寝返りをうつと、椅子に座ったままうつらうつらと船を漕ぐモニカの姿があった。
 寝返りの音が、モニカの眼を覚まさせた。身をびくんと撥ねさせてモニカはエドナの方を見た。
「あら、起こしちゃった? ごめんね」
「いえ、すみません。こんなことまで……」
 エドナの全身のあちらこちらに包帯が巻かれており、動きを制限するように固定されているところもある。水の入った桶と、何枚かの手拭いがベッドの脇にあった。エドナは起きあがろうとする。
「あ、痛っ……」
「ちょっと、無理しちゃだめ。安静にしてなさい」
「すみません」
 謝りながら、また仰向けに戻った。天井を見ながら、エドナはモニカに問いかける。
「みなさんは、どうして旅をしているんですか?」
「エドナは、ドラゴンって知ってる?」
「噂には聞いたことがあります。大きくて、翼の生えたトカゲみたいな生き物だって」
「そう、そのドラゴン。あたし達はね、そのドラゴンの討伐の旅をしてるの。長い長い旅になる予定なんだけどね」
 モニカは言いながら、手拭いを水に通し、絞ってエドナの頭に当てた。
「王子様が、討伐するんですか?」
「そういうこと。でも別に、急ぐ旅じゃないのよ。ドラゴンが、国に被害をもたらしてるなんてこともないし」
「それならどうして……倒さなくても」
「まあいろいろとね。事情というものがありまして」
 ため息を一つ、モニカは吐き出した。そうして、窓の方を見た。
「王様が、国の方針として、領地内の脅威を取り除くことを掲げたの。城壁のないところでも安全に暮らせるようにってね。脅威のシンボルとして、ナル山脈に住んでいるドラゴンを挙げたのよ。そうして、その討伐隊のリーダーに、息子であり王子のケネス様を指名した」
 山脈の名前すら知らなかったエドナにとっては、現実味のない話であった。王族というものも、ドラゴンというものも、エドナの生活にはまるきり関係がないものだった。
「ケネス様、お強いんですね」
 その言葉に、モニカは少し口ごもった。
「……まあ、そうね。王様直々のご命令で、竜征の旅にお出になりましたと。そういう話。それで、お供の私たちも、一緒にね」
 エドナの隣で、ノラが「ううん」とうめき声を上げた。
「さ、お喋りはおしまい。もう一度おやすみなさい。ゆっくりね」
「あ、はい。すみません。おやすみなさい」
 モニカは火を消し、扉から外に出て星を眺めた。秋のひんやりとした風が頬にあたる。
「おんなじね……どこへ行っても」
 そっと呟いた言葉は誰の耳にも届かないまま、空に消えた。
 
「明日はあらためて、残ったゴブリンを掃討することになります」
 エドナが眼を覚ます少し前、モニカ以外の王子一行は、借りた宿の一室で話し合っていた。
「一日あれば終わるでしょうな」
「爺さんは休んでてもいいぜ。俺が一人でやる」
 トーマスはにやにやしながら、ハーマンの方を見た。ハーマンはトーマスには目を合わせずにケネスに問いかける。
「それで、その後はどうするおつもりですか」
「エドナさんのことでしょうか」
「ええ、今はモニカが側についておりますが」
 ケネスは茶に口をつけ、少し間を作った。
「この村にはまともな医者がいないようです。エドナさんが回復するまでは、この地に逗留しようと思っています。急ぐ旅ではありませんし、村長に頼まれた仕事の範疇でしょう」
 ハーマンは目を伏せた。
「致し方ありませんな」
「それと」
 さらにケネスは続ける。
「ノラさんの件ですが、もし、エドナさん達が望むのであれば、我々の旅に同行して頂くことも考えています。いかがでしょう」
「そいつはちょっと」
 トーマスがすかさず反論した。
「厳しくありませんかね。いくら一人だったとはいえ、あの程度の数のゴブリンにやられてるんですよ。おまけに子供までついてくる」
 トーマスの苦言にハーマンも同調した。
「お気持ちはお察しいたします……が、私もトーマスと同じ意見です。三人を同時に守れる自信は私にはございません。それに、この旅の本義をお忘れですか」
 二人の反対意見に対し、ケネスは呼吸を整えて、諭すように言った。
「そもそも義のない旅でしょう。それを少しでも意味あるものにするため、今回もゴブリン退治を引き受けているのです。丁度いいじゃありませんか。お二人には迷惑をかけますが、いずれ竜と対峙せねばならぬことを考えると、私自身が強くならざるを得ません。自分の身は自分で守れるくらいにね。それにトーマス、あなたも彼女たちのことは気にかかるのでは?」
 トーマスは目をそらし、一つ咳払いをして答えた。
「ただでさえ異民族で、親もなく、その上魔物疑惑までたてられたら、あの二人は生きていけんでしょう。そりゃあ、気にならないと言ったら嘘になります。しかし……」
「トーマス。彼女たちを放っておいても、あの角は消えません」
 トーマスはケネスをあらためて見た。ケネスは続ける。
「この村の人たちは優しいですね。皆、他人のエドナさんとノラさんの心配をしていました。そんな人たちが、近い将来二人を追い出す人たちになるかもしれない。彼女たちに、帰る場所を失ってほしくはありません」
 ハーマンは、内心でケネスを心配していた。あの二人の境遇に、ケネスが自分の境遇を重ね合わせているように感じたからであった。彼女らが持たないものは、ケネスの持たないものとよく似ていた。ハーマンの思いを余所に、ケネスはさらに言った。
「それと、これはついでの理由ですが……彼女らを通して、より国の実状を知りたいのです。私たちだけでは、旅をしていても人々の生活の上面しか見ることができません。もっと、貧しい人たち、困窮している人たちのことを私は知らねばなりません。共に生活をし、彼女らの目に映る景色を教えてもらいたい。そういう願いも、あります」
 そこまで言うならば、あえて反対することもあるまいと、ハーマンとトーマスはケネスの提案にそれ以上異論を挟まなかった。また、ケネスの政治的状況を考えると、さらに別の思惑もあるかもしれないと、ハーマンは思った。
 翌朝、戻ったモニカにトーマスが晩の話し合いの件を伝えると、モニカも当初の二人と同じ反応を返した。もう決まったことだと言うと、「仕方ないなあ」と少し嬉しそうな表情を見せるのだった。
 二月経ち、エドナの怪我は粗方回復していた。ところどころに痣が残っているが、それはもう消えないのかもしれないと、エドナは諦めていた。
 この二月の間、エドナとノラがこの村に来てから二人のことを気にかけてくれている村長や近隣の住民の幾らかは、二人が無事に帰ってきたことを喜んでくれもしたし、見舞いもしてくれた。また、その間のエドナとノラの生活費の大半を工面してくれていたのはケネスだったから、なにも持たないエドナではあったが、ノラと共にお世話になった人たちに礼を言って回った。そして最後に、ケネス達の宿泊している宿にやってきた。
「すっかり良くなったみたいね。よかったよかった」
 部屋へ招き入れてくれたモニカは、そのまま二人を椅子まで案内した。奥には、ケネス、ハーマン、トーマスが揃っている。エドナがふと横を見ると、緊張した面持ちのノラがいた。
「モニカさんのおかげで、もう大丈夫です。皆様にも大変お世話になりました。本当にありがとうございました。お礼らしいお礼もできなくてすみません」
 持たざる者は辛い。日々の禄を食むのにも精一杯の者は、他者に贈与するに値するものを持つことは難しい。エドナは深々と頭を下げることしかできなかった。
「気にしないで。おかげで随分のんびりもできたしね。でも、ということはそろそろここを出立しないといけないってことなんだけど」
 モニカは苦笑しながら、ケネスの方を見た。ケネスは柔らかな笑みを浮かべながら言った。
「川沿いに北上して、セントの街に出ます。あそこにはアカデミーがありますから、そこでノラさんの『それ』を治す方法を学者にあたってみようと思います」
「そんな」
 エドナはその申し出に、驚いてしまった。これまででも過度なぐらいなのに、そこまでしてもらう義理があるのかと不思議にも思った。
「ドラゴンを倒す旅なのだと聞きました。これ以上、私たちなんかに構ってたらいけないんじゃ」
「それがそうでもないのです。私たちの旅の目的は確かに竜の討伐です。ですが、その根元には人々が不安なく暮らせる世にするという目的があります。実際、私たちの他にも派兵され、魔物の駆逐にあたっていたり、防備の強化が実施されています。人がゴブリンになってしまうことはわかっているのに、それを治療する方法は現在確立されていません。ここでその方法について詳しい調査を行うことは、私たちの旅の意義に沿い、国益にもかなう行為なのです」
 エドナはケネス以外の三人の顔を見た。ハーマンはいつもの様に厳めしい顔をただそこに貼り付けているようで、トーマスは目を閉じ、腕を組んで頷いている。モニカはエドナににっこり微笑みかけていた。
「勿論、この件にばかり時間を割くことも難しいでしょう。成果があがっても、こちらに持ち帰るのはずっと先になってしまうかもしれません。そこで……もし、お二人が希望なさるのであれば、私たちの旅にご同行頂くのも一つの手だと思っています。そうすれば、道中で解決法が見つかればすぐにでもノラさんの治療が出来ることになりますからね」
 エドナとノラは顔を見合わせた。ノラは、成り行きに身を任せる、といった面持ちをしていた。
「お邪魔じゃないんでしょうか」
 エドナの心配そうな声に、トーマスが応える。
「お客さま、というわけにはいかんからな、色々やってもらうことはあるし、戦いに参加してもらうこともある。しかし、だからこそ遠慮する必要はない。もちろん、嫌だったら断ってくれて構わんぞ」
 エドナにとっては渡りに船、というところであった。持てる力で狩りをする他に、彼女たちは生き方を知らない。何かしなければならないことだけはわかっていても、二人だけでは、日々の生活を前に立ちすくむばかりだったろう。そこに差し伸べられた手を掴まないわけがなかった。エドナは立ち上がって、深くお辞儀した。ノラもそれに合わせて、少し遅れて頭を下げた。
「ありがとうございます。お供させてください」
 ゆっくりとエドナが頭を上げると、そこにモニカの笑顔と手があった。
「じゃ、あらためてよろしくっ。ノラちゃんもね」
 二人続けて握手をするモニカ。それにつられてか、トーマスも立ち、無言で握手をした。
 翌日、エドナとノラはまた村長を訪問した。エドナは、ノラの体に後遺症が残るかもしれず、都市の医者に診せるためにケネス達に同行すると伝えた。そして、少ない荷物を持って、二人が宿に行き合流すると、一行は村を離れ、川沿いの街道を北へ進む。目指すは都市セントである。



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