Grayscale Lovers

その配慮は差別的偏見を前提にしていないか。

カテゴリ:雑談  投稿日:2015/12/16

 以前、ある仕事でイラスト素材を使用しクライアントに提出したところ、先方から「このイラストの女性がつけているエプロンを外してほしい」との指示があった。なんでも「女性が家事を行う」という固定的イメージを連想させるのがよくないらしい。

 少し調べてみると、男女共同参画という観点から、固定観念を助長するようなイメージを使用するのは避けましょう、というのは各所で言われているようだ(「男女共同参画 エプロン イラスト」とか「女性 イラスト エプロン 差別」とかで検索すると結構でてくる)。ははあ、なるほどなあ、と得心しかけたのであるが……

 まてよ、と。

 どうやってそのイラストに描かれているものが「女性」だと判断したのだ?

 件の仕事のときに使用したイラストもそうであるが、検索してでてくる男女共同参画云々に関係する資料等で提示されるイラスト類は、ほとんどがかなり強めのデフォルメをかけられたイラストである。全ての人物は同じような目をしており、体格も背の高い低い以外にほとんど差が見られない(女性特有の乳房の膨らみが描かれていないものも多く見られる)。男女の違いを認識できるのは、髪型と服装ぐらいのものである。

 髪型と服装で性別を断定することは、イメージの固定化ではないのか? 男性がスカートを履くことや女性が七三分けにすることは一般的でない、という差別的な偏見を前提にした基準で語ってはいないか? 当該人物が男の娘である可能性はないのか? という疑問が、頭を擡げる。

 たしかにそれらを見て、僕も「男性のイラストだなあ」とか「女性のイラストだなあ」と判断している。僕の中にも、その偏見は間違いなく存在している。しかし、である。男女共同参画ということのために差別的な表現はやめましょう、と言っているガイドラインがそれではダメだろう。多様性があるので尊重しましょう、と言うのと同じ口で、その人物は髪が長いので女性です、と言い切ってしまうのでは、あまりに局所的な配慮ではないか。

 「社会への参画について男女平等に」という視点だけから考えれば、配慮が局所的になっても矛盾ではない。しかし、その方針がそもそもどこを見ているのかをよく考えなければ、結局はただ煩瑣な手続きが一つ増えるに過ぎないだろう。



Grayscale Loversはインディーズ作家を応援しています
[Ads by でんでんアドネット]

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です