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生き方のモデルの喪失

カテゴリ:雑談  投稿日:2013/09/12

日本の若者は貧しくなっていると言われる。それって本当なのかなぁ、と最近疑問に思うようになった。

まぁ、もしかしたらそうなのかもしれないけど、しかし今の若者の生活レベルと三十年前の若者の生活レベルを比較して、どちらが高いのか比べると、多分、今の若者の方が恵まれた環境にあるのではないかと思う。モノとかサービスをベースに考えるなら、確実に三十年前より進歩している。犯罪も減った。

それでも、今の若者は貧しく、不幸だと言われる。なぜなのか。それは多分、生き方のモデルが完全に失われたからだ。

大きな変化は雇用環境だろう。一つの会社で定年まで勤め上げるというイメージが、今の若者はできない。それはあまりに現実感を欠いているからだ。自分がいま勤めている会社が五年後に存在するかと問われて、自信を持ってイエスとは言えない人が多いんじゃないか。そんなだから、給料があがらないとか先行きが不安だとかいう話になる。

正規雇用が減って、非正規が増えた。だから生活が不安定な人が増えたのは間違いない。とはいえ、とりあえず働き口はあるし、住むところもあるし、食べるものもあるし、着るものもある。でも、どう生きたら正解なのかが分からない。それまでの社会では、人生設計というのはお給金が順調に年々上がっていくことを前提にしていたので、全然あがらない場合とか、逆に下がる場合についての経験値が足りない。そういう生き方を知っている人があまりにも少ない。

一億総中流社会というのは、二十年ぐらい前ならば割と現実に即した評価だったと思う。とりあえず、従順に頑張ればその生き方のモデルに沿って生きることが出来た。今の五十代、六十代の人たちはそういう時代を生きた人たちで、今の若者はちょうどその子供たちの世代だ。ほとんどの若者が、そういう生き方をしている家庭しか知らないんじゃないだろうか。だから、同じように生きようとしてそれが出来なくなると、自分はダメなんだと思ってしまう。「普通の生活」ができないんだと思い込んでしまう。

時代が変わったら、それに応じて生き方も変えなきゃいけない。「正しい生き方」についての意識が変わらない限り、多分永遠に不幸なんだと思う。今は、そろそろ「これまでの生き方、通用しなくなったね」っていう認識が割と共有化されてきたとは思うんだけど、じゃあ他にどうやって生きたらいいのかってのが分からない人が多い。僕もそうだけど。

おそらく今後は万人に対して「こうやって生きたらええんよ」と言えるような時代じゃなくなる。多様な生き方が求められるようになって、それに応じて、それらを一つ一つ肯定する多様な価値観が発生するようになる。

そんなわけで、これからは生き方を模索していかなきゃならないんだけど、ありがたいことに日本はそう簡単に飢えて死んだりしない社会らしいので、慌てずに生きたらいいんじゃないかと思う。

余談だけど、三十年前の働き方が幸せだったとはとても思えないんだよなぁ。とくに、企業戦士っていう生き方はさ。働いて金を稼いで家族を養ってるのに、家で軽んじられるお父さんって多かったわけでしょ。平日はほとんど子供と顔を合わせられない程度に残業があって、会社のイベントで毎日のように飲み会に行って、一軒家を買ったら三十年縛りのローンを払い続けなくちゃいけなくって、転職することも退職することも実質不可能、みたいな生き方。人生のコアタイムをそういう風に過ごすのが旧来の生き方だったわけで、「はい皆さん、そういう社会を用意しましたんで終身雇用でバリバリ働いてください!」ってなってもいやだなーって思うよ。昔は、そういう生き方を皆がしていれば、日本の社会はシステムが破綻しなかったってだけの事だからねぇ。



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