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ロリコン論2(続・ロリコンは、かわいそう)

カテゴリ:雑談  投稿日:2017/02/19

 以前、「ロリコンは、かわいそう――「児ポ法」議論によせて」という記事を書きました。
 その記事に反論コメントを頂戴し、それへの返答コメントもしたのですが、自分の中でさらに追記したいことが出てきたのに加え、先の記事はタイトルの通り情緒的な側面を強調しすぎたきらいがあり、もう少し論理的な記事にて自分の論をまとめようと思いましたので、この記事を書きます。(反論を頂戴すると議論が深まるので、ありがたいです)

 まずは、先の記事に頂戴したコメントに対し、あらためてご回答します。

「あ」さんコメントより(2通)

≫乳房は生殖の為ではなく、幼い子供の栄養や免疫の為に存在するものですから、性欲の対象とはなりえません
乳房は日本足で生活するようになってからの顔付近のセックスアピールと言う説もあります。お尻を胸に持ってきたニセお尻。なので性欲の対象になり得ます。

 オッパイ好き→性的な物でないから異常→だったらロリコン責められない。
と言う展開に持っていこうとしているようですが、オッパイの発育は子供を作れる体になったサインでもあるからオスがターゲットオンしても不思議じゃ無いですよ。ロリコンはメスに発情するのではなく幼さに発情する訳ですから異常としか言いようがありません。その時点で上記の理論は破綻してると思います。
確かにロリコンは不幸だとは思いますが、現実問題として幼い我が子を性的な目で眺められるのは、親として容認しかねる事は理解出来ます。私も差別は嫌いですが同性愛等以上に理解され難い問題だと思っています。
オッパイ論で語れるほど簡単ではありません。

先の記事において「あ」さんが指摘した僕の主張は、以下の部分です。

 いや、というより、こう言いかえたほうがいいでしょう。「そもそも他人の性嗜好を『異常』と断じること自体がナンセンスだ」と。
と言うのは、なにか性嗜好を異常だとするためには「性欲が生殖のためのものであるのだから、それ以外は異常である」という理路が必要になるからです。確かに、それなら筋は通るのです。
 
 しかし「性欲が生殖のためのものであって、それ以外のための欲望は異常だ」という考えが正しいとするならば、「女性の乳房に興奮する男性も、当然異常だ」ということになります。乳房は生殖の為ではなく、幼い子供の栄養や免疫の為に存在するものですから、性欲の対象とはなりえません。でも、少なくとも日本で「乳房に興奮すること自体が異常だ」と言っても、同意は得られません。
 
 乳房に興奮することが異常でないとするならば、その他の性嗜好も同じです。同性に欲情しようが、死体に欲情しようが、未成熟な子供に欲情しようが、それらを異常だと断ずる理由はどこにも用意することができません。

 「あ」さんの論には、一つの典型的な、倫理を論じる際の問題が含まれています。それは「科学的推察を倫理的正当性の説明に用いる」という問題です。
 なぜその論が問題なのか、「乳房が尻に似たものとしてセックスアピールになっているがゆえに、性欲の対象になる」という説がどのように生まれたのか考えれば、明らかです。
 生物学等の自然科学においては、まず現実世界の「観察」があり、そこから問題意識(なぜ○○は××なのか、等)が生まれ、そこから仮説を立て、その仮説の検証を行ってその確からしさを確認していく科学的手法を採るのが一般的だと思います。上記の説の場合、まず観察(乳房に対して性的興奮を持つ人が多くいる)があり、問題意識(なぜ乳房に対し性的興奮を持つのか)が生まれ、仮説(尻を模したものとしてのセックスアピールなのではないか)を立て、そしてそれを検証していくことになります。
 重要なのは、「まず観察ありき」であるということです。たとえ確からしい説が確立されたとしても、それに反証する道は常に開かれていなければなりません。反証に値する「観察」が得られた際に、その観察された現実を否定するために仮説を用いることは科学的ではありません。科学の説は現実の観察からなる「体系化」であって、「現実世界のなんらかの正当性を保証するもの」ではありません。
 したがって、そもそも科学的な仮説を持ち出して「ゆえに乳房に対し性欲を覚えるのは倫理的に正当である」という主張をすることは、科学的な仮説の使い方として間違っています。
 そして、よしんば「科学的仮説を倫理的正当性の説明に用いること」が許容されるとしても、それは大本をたどれば「このような観察が多く見られる」がはじまりなのですから、「多いものは正しい、少ないものは間違っている」という、きわめて差別的論理展開になります。

 僕の主張の要点は“なにか性嗜好を異常だとするためには「性欲が生殖のためのものであるのだから、それ以外は異常である」という理路が必要になる”です。依然として、乳房に対し性欲を抱くことは、この理路においては異常なものだと言えるでしょう。

※一応申し添えておきますが、僕は子どもに対し実際の行為に至ることを容認する立場ではありません。また、先のエントリで言及しているように、性的同意年齢は人権上必要不可欠な概念だと考えています。あくまで「欲望すること」について、倫理的観点から擁護しております。

 さて、ここからはコメントから離れて、別の話です。

 児童を対象とした性暴力の問題について、小児性愛を異常とする論を以て解決に取り組もうとするのは、防犯上有害であると僕は思っています。「異常じゃないからこそ、問題なのだ」と言えば伝わりやすいでしょうか。
 内閣府男女共同参画局の男女共同参画白書の各年の資料の中に、「性犯罪の実態」というページがあります(リンク先は平成27年のもの)。そのなかの(異性から無理やりに性交された経験)という項目の「被害にあった時期」を見ると、未成年に対する性犯罪の割合がずいぶん多いことに驚かされます。中学生以下で区切っても、平成20年の調査で20.4%、平成23年の調査で18.6%、平成26年の調査で13.7%という割合です。ここまで多くの割合を持っているものを、「特殊な性志向を持っている人による犯罪」と考えることには無理があると僕は思います。かなり一般的に「子どもに対する性欲」が存在するからこそ、これだけ多くの被害がでるのだと考えるべきでしょう。
 そして勘違いしてはいけないのは、「子どもに対する性欲を抱く人」が「大人に対する性欲を抱かない人」とイコールではないということです。そういう人もいるでしょうが、大人と子供どちらに対しても性欲を抱く人もいます。たとえば、家庭内でおこる性虐待の加害者の多くはそういう人に分類されるでしょう。
 そういうものが存在するということを認めたくない人もいるでしょうが、まずそれが「普通に存在していること」を認識することが、犯罪抑止を目的としては正しい姿勢でないかと思います。



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