苦手な言葉2
カテゴリ:雑談 投稿日:2017/02/17
「苦手な言葉」の続きというわけではないけど、苦手な言葉について。
子どもが生まれたこともあり、「叱る」ことの必要性について考えることが多い。とはいえ、まだうちの子は言葉が通じるような発達段階にないので、実際に叱るべきことが発生するのは少し先のことではあるのだが。
さて、この「叱る」という言葉が、僕はひどく苦手である。それは、この言葉がそもそも持っている意味に傲慢なにおいを感じるからである。
「叱る」という言葉は、「目下の者に対し、間違った言動を諫める」という意味で使われる。「叱る」には、「叱られる者」よりも「叱る者」の方が正しく、目上であるという前提がある。だから、自分を主語にした動詞として用いるには、自分が叱る相手よりも正しく、なおかつ目上であるという認識が必要である。
もちろん、親子の関係や、教師と生徒の関係など、最初から「教える側」と「教えられる側」という関係性がある程度はっきりしている間柄に用いることには、それほど違和感はない。その関係性においては「(実際のところどうであるかはともかくとして)正しいことを教え、相手を導かねばならない」という責務が親や教師側に付託されているからである。親や教師は「叱る」ことについての自覚が求められている。
しかし、前記のような関係以外のときにも、「叱る」を自分を主語とした動詞として用いる人がたまにいる。その人がどこまで意識的に「叱る」を用いているのか測りかねるものの、「叱る」の持つ尊大さが僕は耐えがたい。「彼氏のことを叱った」や「友人のことを叱った」と言う人が、そこまで見下せる相手となぜ対等の関係として交際しているのか、不思議でさえある。
僕は基本的に、自信のない人が好きだ。自分の正しさに揺らぎのない人、自分の優越性に疑いを持たない人が苦手だ。相手が間違っていると思ったときに、しかし自分の正しさに疑いを持つ人が好きだ。
「正しい人」と「間違った人」に分かれていないのが本来の人間関係だと僕は思う。だから、「叱る」という言葉は、苦手だ。
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