モンスターを人にかえす仕事
カテゴリ:雑談 投稿日:2015/04/30
これは、以前note.muに載せた文章なのだが、やっぱり金銭の授受が絡まないときのnote.muの存在意義がよくわからないので、ブログにも載せる。自分の文章をいろんなところに点在させたところで良いことはない。
ちょうど一年ほど前の文だ。
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ということで、タイトルの「モンスターを人にかえす仕事」について。
実績もないくせに偉そうに宣うなよクソワナビ、という誹りをうけるであろうことは承知であえて語る創作論。
いや、創作論というのはとてもいいものなのですよ。然したる根拠なしに語ることができるし、「せねばならない」とか「すべきである」とか、自分の好みを「べき論」口調で開示するだけでなんとなくそれらしく見えるものだから、割と誰にでも書ける。これが創作技術を語るということになると途端にリアリティを求められて楽しい妄想の時間が終わってしまうので、技術的な話はできない。そういうちゃんとした話はできないし、あまりしたくもない。
さて、作家かくあるべし、という話。
作家という仕事には「モンスターを人にかえす仕事」が含まれていると思う。
「小説は弱い人に寄り添うものでなければならない」的なことを、いつだったか、たしか村上春樹的な人がなんか言っていた気がする。そういうテンションで「小説はモンスターを人にかえすものでなければならない」と僕は言いたい。
モンスターとは理解不能で加害的ゆえに脅威そのものになった存在のことである。かつては自然が最大のモンスターであったが、やがて水爆大怪獣のような科学への畏怖へと変わった。しかしいつの世も変わらずモンスターであり続けたのは、人間そのものだ。
人間が人間に恐怖するというのは普通のことで、どこでもよくあることなのだけれども、あるカテゴリーに属する人間をひとまとめに恐れ、駆逐せねばならぬ敵として社会が認識したとき、人は人をモンスターに変える。国籍の違い、生まれの違い、人種の違いなどで今まで人は何度も人間をモンスターにしてきた。「ぺるり」さんの似顔絵を見れば、異人さんに対してどれほど当時の人々が恐怖していたかよくわかる。異質な存在を人は恐れずにはいられないのだ。
これは、まったく過去の話ではない。「ここに十万人の宮﨑勤がいます!」という叫びは都市伝説とされているが、あの事件後に、コミックマーケットという謎の集会に集う「オタク」と呼ばれる謎の集団に恐怖し、彼らを社会より排除せねばならぬ存在と認識した人は多いだろう。ある時期、オタクは明らかに社会に於いてモンスターだったことがある。
あるいは、「引きこもり」というモンスターもいる。これは「ニート」というモンスターとかぶっていることが多いが、今なおモンスターであり続ける存在だ。社会は彼らを取り除かねばならないと思っている。
あえて言うまでもなくモンスターとされた人々は人間である。作家は、彼らをモンスターから人に戻さねばならない。
なぜなら、それが出来るのは作家だけだからだ。
などというと流石に言い過ぎ(悪魔の証明を全う出来るほどのまともな論ではない)なので言わないが、作家が彼らをモンスターから人へ戻す力を有していることは間違いない。
すべきことはとてもシンプルだ。彼らを人として描く、ただそれだけ。肯定するでも否定するでもなく、まっすぐに描くこと。作家がすべきことはそれなのだ。
モンスターを人として描くこと、それはモンスターではない人々にモンスターが人であることを伝えることであるが、モンスターである人々に「僕は君が人であることを知っている」と伝えることでもある。僕はむしろ後者が大事だと思っている。モンスターとして孤独を噛み締めている人にとって、「僕は君が人であることを知っている」という言葉のなんと心強いことか。作家がせねばならぬのはまさにそれである。
僕がそれを意識して書いたのは、唯一「いとしの小さな殺人鬼」のみである。しかし僕はあの作品で徹底的に、ロリコンというモンスターを人として描いた。「僕は君を知っている」と伝えたかったのだ。
人がいるところにモンスターはいる。だから、作家はモンスターを人に戻し続けねばならない。
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