Grayscale Lovers

電子書籍に救われた話

カテゴリ:雑談  投稿日:2015/03/01

 折に触れて口にするので知ってる人もいるかもしれないけれど、電子書籍が作られたおかげで、僕は読める本が増えた。

 はっきり言って僕は読書家ではない、というか、たぶん普通の人よりも本を読まないで生きてきた人間である。恐らく、同世代の読書家の人に比べたら、百分の一程度しか読んでいない(誇張ではない)。というのは、もちろん僕が読書好きでなかったのが主因ではあるのだが、四年ほど前にSONY Readerを手に入れてからはじめた電子書籍用端末での読書は快適で、いまは人並みには読書をするようになったので、そればかりが原因ではないだろう。

 なぜそれまで、本を読まなかったのか。それはたぶん、僕の視覚的な認識能力が他の人よりも劣っているからだ。表現を濁してもしょうがないからはっきり言うが、紙の本の何割かは、僕にとってはとても読みづらいものだった。それは、文字が小さいとか、行間が狭いとか、フォントが見づらいとか、余白が狭いとか、あるいは紙の光沢感がきついとか、そういった事柄が原因として起こる読みづらさであって、文章の内容がどうこう以前の問題である。

 このことはきっとあまり多くの人には共感してもらえないと思う。ほとんどの人にとってはそのことは大した障害ではないし、そもそも読みづらいとも感じていない人がほとんどだろう。僕は、たとえば雑多な街並に強い嫌悪感を覚える人間である。人によっては「味わいがある」と感じるような街並でも、情報が整理されていない視覚情報(かつ、視覚によって周囲を理解しなければならない状況)に直面しているとき、己の情報処理能力を超えた量の情報が視界に入ってくることに耐えられないから、それを嫌悪し忌避している。

 そういう人間なので、一目見たときに情報が氾濫していたり、情報の認識そのものが難しかったりすると強いストレスを感じ、その本を閉じてしまう。それは僕個人の問題であって、本の側の問題ではないのだろう。でも、僕にとって読みにくい紙の本が多数あったということは事実である。

 電子書籍がどのような思惑によって、どのような理念によって今の形になっているのかについて、それほど知識はない。けれど、たぶんそこにはアクセシビリティを確保する、という考えがあったのだろうと思う。行間を調整したり、文字サイズを調整したりできる端末が作られたおかげで(そしてたまたまフォントが僕の苦手なフォントではなかったおかげで)、僕は人並みに本が読めるようになった。これは本当に僕にとってはありがたいことだ。

 紙の書籍と電子書籍を比較し、電子書籍に満足できず「やっぱり紙が良い」と言う人がいるのは分かる。以前から読書家の人たちの意見はそちらのほうが多いような気がするし、僕自身も紙の書籍の方が優れている点があることも承知しているのだが、それらはすべて、まず「本が読める」というところをクリアしてからの話である。

 そういうわけで、電子書籍を卑下する意見を目にすると、ちょっと悲しい。ほんとにちょっとだけど。

 電子書籍なんていらないなんて言わないでください。僕がいます。

(誤解のないように書いておきますが、僕でも読みやすい紙の本もたくさんありますし、普遍的に電子書籍のほうが優れているなどと言うつもりもありません)



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