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竜王の国 第五話「友達」

カテゴリ:小説 , 竜王の国  投稿日:2012/11/13

 少女は振り向き、エドナを見た。
「見られてしまいましたね」
 慌てるでもなく、外していた首飾りを着け直しながら、少女はエドナの方へ歩いてくる。それをじっと見続けていたエドナは、少女の角が次第にその姿を隠していく事に驚いた。
 モニカも似た様な光景を目の当たりにしていた。モニカの窮地を救ってくれた謎の大きな二つの影が、やがて小さくなり、ついには人間の大きさにまで縮んだのである。
 モニカは、その影に駆け寄った。その二人が不思議な存在であることは間違いなかったが、ともかく命を助けてくれた礼は述べねばならない。「助かりました」と声を掛けた。振り向いた二人の顔に、モニカは見覚えがあった。それは門番の男達であった。
「面倒なことになったな。ちょっと来てもらうぞ」
 男の一人がモニカの腕を掴んだ。モニカは引っ張られるようにして、エドナと少女、そして先ほどの老人が集まる宿の前まで連れられた。エドナは困惑の表情でモニカを迎える。ケネス、ハーマン、トーマスがそこへ遅れてやって来た。
「何がありましたか」
 ケネスは状況が分からず、漠然と問いかける。三人が飛び出して来たとき見えたのは、詰問されるように囲まれているモニカとエドナと、巨大な怪物の死体だった。老人が言った。
「悪いが、あんたらをこのまま帰すわけにゃいかなくなった」
 戸惑う五人と、その場にいた少女と門番の二人、そして部屋で小さくなっていたノラを、老人は自分の小屋に連れて行った。月明かりの届かない小屋の中に、老人は小さな明かりを灯した。
 老人が少女に首飾りを取るように指示すると、少女は黙って頷き首飾りを外す。先ほどエドナが目にした一本角がまた姿を現した。角は僅かな光に照らされて、神々しく六人の目に映った。しかしそれは紛れも無く、ノラと同じ「魔物の証」であった。
「この町は、魔物になっちまった者の町だ。全員が全員魔物ってわけじゃねえが、この町で暮らす奴はこの町に魔物が暮らしてることを承知して生きている。それで今まで何の問題もなくやってきた。だが、よそものは話が別だ」
 門番の男達二人が威嚇するように、少しだけ老人の前に出た。老人は話を続けた。
「この町の秘密を知っている奴は、町から出ちゃいけねえ。それだけ守らせてきたんだ。俺が来る前から、そういうことになってる。この町の秘密が外に漏れれば、どうなるか……町ごと潰されるか、あるいは戦に利用されるか、そんなとこだろう。だから用のない奴は、そもそもこの町に入れねぇようにしてきた。言いてぇこと、分かるな。あんたらは、見ちまった。知っちまったんだよ」
 老人の吐いたため息が、部屋中を包み込んだ。少女がまた首飾りを着けると、それがまるで蜃気楼であったかのように、角の姿は霧散した。重い空気が支配する静寂の中、しかしエドナは、その首飾りに釘付けになっていた。己の今置かれている状況などまるで気にならない。エドナには、その首飾りのことしか見えていなかった。
 これがあれば、ノラは人として生きていける。そう考えれば、エドナの胸は喜びに満ち溢れた。元に戻る手段にはもはや期待できない。だが、元に戻らなくたって良いのだ。周りから、人として認められる姿でいられれば何も問題はないではないか。
 エドナの思いを他所に、ケネスは沈黙を破って、尋ねた。
「私たちを外に出す気はない。ならばどうしますか」
「それを悩んでんだ。今まで見られたことなんて一度もねぇんだからな。ここにずっと住んでもらうか、そうでなきゃ……死んでもらうか。一応、これでも俺は町長だからな。町を守る責任があるんだ」
 物騒なことを口にする老人であったが、トーマスやハーマンには、その目に全くその気がないことが分かっていた。このようなことを説明している時点で、敵意などあろうはずもないと思っていた。また、相手がケネスであるということも事を荒立てられない理由になるだろうと考えた。一国の王子を手にかけて、この町が無事で済むはずがないのだ。
「私が申しても意味がないかもしれませんが、私たちはこの町のことを口外したりはしません。私たちにはこの子、ノラさんがいます」
 老人は腕を組み目を閉じた。それは沈黙でもあった。老人の返事は、いつまで待っても返ってこない。そこへエドナが割り込んだ。
「あのっ」
 エドナには申し訳ないという気持ちもなかった。ただ、そこに希望が見えたから縋りたかっただけだ。皆がエドナに注目する。
「その首飾り、いただけませんか」
 唐突に話を変えられ、老人は戸惑った。少女が首飾りを右手でいじりながら、「これは」といった。
「差し上げるわけにはいきません。なにより、その子には意味をなさないものです」
 角を再び出現させながら、首飾りを少女は外す。そっとノラにその首飾りをかけた。
 エドナが見守る中、ノラの角は一向に変化を齎さない。それを確認すると、再び少女は首飾りを自分の首に戻して言った。
「お分かりでしょうか。これは私の為に作られたもの。他の者の魔を抑える力はありません。その子は、その子のためのものを身につける必要があります」
「それはどこに行けば」
 なおもエドナは食い下がる。それを受けて、少女は老人に向かって言った。
「父ちゃん、大丈夫だよ、この人たちは。そこの金髪の女の人だって、私を助けようとして命を張ったんだ。悪い人たちじゃないって」
 少女の言葉に、渋々ながら老人は重くなった口を再び開いた。
「……仕方ねぇな。知っちまったことは、不問にしてやる。この首飾りと同じものが欲しけりゃ、森の奥、そこに行く以外に方法はねえ。上手くすりゃ、個別に作ってもらえる」
 それを聞いて、エドナの気持ちは逸った。すぐにでも森に発たねばならないと思ったが、それを決めるのは自分ではないということは分かっていた。しかし、全ての決定権を持っているケネスは、元々強行してでも森に行くつもりだったのだから、願ったり叶ったりだ。
「やはり、そこにいるのですね。魔族が」
 ケネスは尋ねた。老人は黙って頷く。
「森の奥と言っても広いですし、私が案内します。それにあなたがたでは彼らと会話することもままなりません。言葉が違いますからね」
 耳の上のさらりとした髪の毛を両手櫛でとかしながら、少女が言った。
 
 翌朝、まだ日が昇り始めた頃に一同は出発した。改めて互いに名乗りあい、少女が「パメラ」という名前であることを六人は知った。
 森は昼間でも暗く、どこまでも同じ風景が続くようであったが、パメラは迷いなくその歩みを進めた。道々、パメラは自分のことを話した。
 パメラがあの老人の娘であること、この村に来たのがずっと前であること、自分の体に起こった異変のことを語った。それはノラに起こったこととほとんど同じことであったが、ノラにこれから起こるべき、未知のことも含まれていた。
 エドナがもっとも心を乱されたのは、パメラの次の言葉だった。
「私もノラちゃんと同じ、完全には魔物になりきれていない体です。半端に魔を取り入れた者は、それ以上の肉体の成長をすることはほとんどありません。幼い頃に魔を受けてしまえば、その人は生涯子供のまま老いていくのです。私は、こう見えても、三十二歳なんですよ」
 それは、ノラがこれ以上の成長をすることはないという告知だった。エドナの俯いた表情を見ながらも、パメラは続けた。
「半端に魔を取り入れた者は、短命になるか、驚くほど長命になるとも言われています。どうやら私は後者のようですが、その日は突然やってきます。普通の人のように予見することも、難しいそうです」
 遠慮のないその言葉は、エドナの心に刺さった。唇を噛むエドナを見て、モニカはエドナの手を握った。そして、沈んだ場を何とかしたいと思った。
「逆に良かったこととか、ありませんか?」
 パメラが自分よりも年上だと分かったことで、自分の言葉を敬語に直しながらモニカは尋ねた。握ったエドナの手が、少し強くモニカを握り返した。
「良かったかどうかは分かりませんが……私にしか出来ないことはあります」
 突然立ち止まって、パメラは首飾りを外しはじめた。角が出現すると、パメラは目をつぶって左手を前に出し、掌が上を向くようにして言った。
「光る」
 その言葉が唇から漏れた瞬間、パメラの左手のすぐ真上に、光が出現した。それは炎の揺らめきではなく、光そのものだった。溢れる輝きは辺りを照らし、六人の言葉を奪った。パメラが左手を畳むと、それに合わせて光もその姿を消した。「うそ」とモニカが小さくこぼした。
「これは、私のような半端者にしかできないことだそうです。訓練次第で、ノラちゃんも恐らく」
「興味深い現象です。トーマスが言っていたのはこれでしょう。無自覚にでしょうが、すでにノラさんは使っていますね」
「えっ」
 ケネスの発言に、パメラは驚きを隠さなかった。エドナはノラを見つめながら、特別な力なんて必要ないし、あっても使えばあの時のようになるんだったら意味もないと、ノラが高熱を出した時のことを思い出していた。
「魔法……なんですか?」
 モニカは弱々しく訊いた。再び皆を率いるように歩きだしたパメラは、誰にともなく解説した。
「そのように呼ぶ方もいます。これは、概念を具象化する力です。さっきは『光る』という概念を具象化しました。慣れれば簡単ですが、具象化にはかなりのエネルギーが必要ですから、使いすぎれば体調を崩しますし、最悪死ぬこともあるそうです」
「今度、使い方を教えてください」
 突然、それまで沈黙していたノラが毅然として言った。エドナが「馬鹿、今の聞いてたでしょ。死ぬよ」と諫めたが、ノラは首を横に振って、エドナを見た。その目には希望さえ映されているようにエドナには思えた。自分の置かれている立場を理解していないと、エドナは思った。
「いままで、私お荷物だった。でも、先生を治したみたいな事ができるんだったら、私だって、役に立てる。前に使ったとか、覚えてないけど、私にはその力があるんでしょ。お荷物はやだよ」
 エドナは言い返さなかった。ノラの気持ちが分からないでもなかったことと、「ノラはお荷物でいいの」という発言が、ケネスたちに失礼になると思ったからだった。自分も、このメンバーの庇護下にあることを申し訳なく思っていたのだ。
 パメラがノラの期待に応えるように、首で振り向いてにっこり笑った。
「逆に、使い方をきちんと覚えた方がいいと思いますよ。既に使ったことがあるなら、扉は開いているということです。その状態で制御できなくなる方が、かえって危険でしょうから」
 トーマスが、パメラの背中を見ながら尋ねた。
「ときに、パメラさん。あなたは誰かに教わったんでしょうか」
 パメラは背中を向けたまま答えた。
「ええ。ずっと昔、この姿になってすぐの頃、旅の方に。お名前は伏せられていましたが、名のある魔術師なのだと仰っていました。いつかまたお会いできるといいですが、今はどこでなにをされているのやら」
 パメラは人に見せない遠い目で、はじめてその魔術師に出会った日のこと、教えてもらったこと、別れた日のことを思い出していた。
 
 夕暮れをすぎて、明かりをカンテラとパメラの光に頼るようになってから少し歩いて、七人はその場所に辿り着いた。そこは少し小高い丘に深く掘られた穴だった。エドナはそれを見て、ゴブリンの巣窟に似ていると思った。
 穴の中は浅く広い階段になっていたが、壁に明かりは無い。パメラは他の者にカンテラの火を消すように言って、自分の光だけを頼りの明かりとした。
 奥へ進むと、洞窟と呼ぶには広すぎる道が広がっていた。壁には大工が拵えたような支柱が組まれていて、先ほどまでは土だった道も、途中から石畳へと変わる。エドナには古代の建築物がそのまま地に沈んだような姿だと感じられた。
 闇の向こう側に光が当たる。それは、大きな門扉だった。その手前には、やはり門番らしき存在が見てとれる。近づくと、門番たちは武器を構え、六人には分からない言葉で何かを問いかけたようだった。パメラがそれに対して、また分からない言葉で返す。二三のやりとりの後、前に出るようパメラがノラに言うと、ノラは恐る恐る歩み出た。
 レムリのときと同じように、門番はノラをまじまじと観察する。近くで門番の姿を見るノラは、彼らの姿を、ゴボウのような体つきだと思った。装備している防具の隙間から見える肌は浅黒く、手や足はやせ細り、身長はノラとケネスの丁度中間ぐらいであった。だが、人間と同じように二足で歩き、手には指が五本あり、他の動物のなによりも人間に近い存在であるように思われた。
 何かに納得したように、門番たちは門扉を開いた。パメラが促して、七人は中へと入る。温い向かい風が吹いて、新しい景色が広がった。
 そこは、想像を超えた広さの空間だった。街が丸ごと地下に潜り込み、それに神が蓋をしたかのようにエドナには感じられた。もはや遠すぎて端は見えない。きちんと舗装された道や、高い建物、人工の明かりが、その文明の発達ぶりを示している。道を行き交うのは人間ではなく、門番と同じくやせ細った者達だった。魔族だと思われる彼らは、七人の姿を見ても別段意に介することの無い様子だった。
 ケネスが道の明かりの一つに近づいて言う。
「見てください。これは炎ではありません。どのような仕組みになっているのでしょう」
 それはパメラの光に似て、炎もなしに光を発していた。パメラの光と違うのは、光の中心にどうやら何かが置かれているという事だった。
 パメラは戸惑う六人に声を掛け、街の門から少し歩いたところにある休憩所に招いた。テーブルや椅子といった道具類を使う生活様式は、人間のそれとほぼ同じである。違うのは材質やデザインであって、果たしている機能に違いはなかった。席を確保しつつパメラは言った。
「上の方に話が行くように、入り口にいた方々にお願いしてあります。もう少しこちらでお待ちください」
「なんだか、夢を見てる気分……いい夢じゃないけど」
 モニカは椅子に深く腰掛けながら、嘆息した。パメラの魔法を見て、魔族の街を見て、モニカの常識は大きく揺らいでいたのだった。
「たしかに、異様だな。だが、魔族と呼ぶにはいささか拍子抜けのような気もするが。もっとこう……あるだろ」
 トーマスがモニカに同調しつつ、自身の困惑ぶりを表明した。ケネスが二人の言葉を受けて、さらに言う。
「人間以外の知的生物。それも、文明のレベルは私たちよりも遙か上かもしれません。地下に都市を建設することは、今の我々の技術では到底不可能です。実に面白いですね」
「一応申し上げておきますが」
 パメラが話を切るように割り込んで言った。
「レムリと同様、ここの存在、見たもの、聞いたもの、全て他言無用に願います。皆さんを信用してこちらまでご案内した次第ですので」
「承知しております」
 ケネスが六人を代表するように返事をした。
 暫く待機をしていると、何者かが近寄ってパメラに声を掛けた。パメラは立ち上がって二言三言話すと、後をついてくるように六人に言った。
 どこへか案内をされる道の途中、ノラは物珍しそうに辺りをきょろきょろと見回していた。「はぐれないでよ」とエドナはノラの手を引いたが、エドナ自身も全く見慣れない風景を脳に焼き付けるように見ていた。土を加工して出来たらしい建築材で立てられた家々を眺め、鳥の飛ばない頭上を見上げ、道行く人たちの姿を自分と比べた。自分達が異邦人であるという感覚は、セントで感じたものと同じであった。
 大きな通りを真っすぐに歩いて、大きな建物に着いた。荘厳な雰囲気のお陰で、それがこの都市の中心的建物であろうことは、全くの異文化を体感しているはずのエドナにも分かった。門を潜って階段を上り、七人は部屋に通された。案内をしてくれた人物は頭を下げ、部屋を出て行った。
「こんにちは、違う、こんばんは」
 老いた魔族と思しき人物がそこにいた。ここまですれ違って来た魔族よりもさらに痩せ細り、長い白髭を蓄えていた。聞き慣れた言葉で挨拶をされ、ケネスはいささかの驚きをもって応えた。
「はじめまして。ティアク王国より参りましたケネスと申します。私たちの言葉がお分かりなのですね」
 挨拶を返されたその人物は皺を寄せながらにんまりと笑った。
「私の名前はテグザル。言葉は上手くありません。遠くからよく来ました。どうぞお座りください」
 長いテーブルを挟み込むようにソファが二つ設置されており、テーブルの短辺側には小さな一人用の椅子が置かれている。テグザルは言いながら自らもその小さな一人用の椅子に腰掛けた。七人は二つのソファに分かれて座る。
「魔物はその子ですね。本当に申し訳ないことです」
 ノラを見るなり、テグザルは深々と頭を下げ、謝った。その謝罪の意味が六人には分からず、返事をすることはできなかった。頭を上げたテグザルは、言葉を続けた。
「その子が魔物になったのは、我々の責任です。我々の発明のせいです」
「発明とは、一体何のことでしょう」
 ケネスが問うた。テグザルは瞼を下ろして、静かに答えた。
「生き物を混ぜる発明です。私たちの研究が、魔物を作りました」
 エドナは震えた。ノラが魔物になった全ての元凶がここにあったのだ。だが、エドナは震えを我慢した。モニカの手がエドナの手に重なっていたからだった。
「遠い昔に、一人の天才学者がいました。天才学者は生き物を調べ、生き物の仕組みを明らかにしました。生き物が形を作るとき、何を元にしているのか、その設計図を明らかにしました。そして、それを混ぜてみようと考えたのです。沢山の失敗の後に、その試みは成功しました。二つの動物が混ざった生き物が生まれるようになったのです」
 淡々と、粛々と語られるテグザルの言葉に、皆が聞き入っていた。
「研究は進みました。生き物を混ぜる方法も、増えました。しかし、あるときその行いがとても罪深いものであることに気づきました。その時には、私たちの一部の仲間も、他の生き物と混ざっていました。深い深い後悔が、研究を放棄させました。作られた魔物の一部は、新しい種族として定着していきました。また、私たちの仲間から魔物になった者たちは、同じ境遇の者を増やそうとしました。私たちの仲間だった彼らは、この国から出て行きました。彼らの行方を知っている者はいません」
「国から出て行ったあなた方の仲間が、今も魔物を作り続けているのですか」
 再びケネスが問うた。テグザルは頷いて言った。
「私たちはもう、魔物を作りません。しかし、彼らはきっと、作っているに違いありません。残念ながら、全ては私が生まれる前の話です。遥か昔にそのようなことがあったのです。恐ろしいことです」
 テグザルは俯いて言葉を終えた。
「それが過去の事であるなら、今のあなた方に咎はありません。それよりも、この少女、ノラさんを救っていただきたいのです」
 ケネスはじっとテグザルの目を見ながら言った。テグザルはケネスを見、ノラを見てから答えた。
「悲しいことに、元に戻す術はありません。しかし、人の姿にとどめることができます。私たちは罪滅ぼしとして、魔物になってしまった方々のためにその道具を作っています」
 テグザルはパメラの首飾りを指さした。
「それは合成生物の一つの設計図以外の設計図の働きを抑える力があります。限定的ではありますが、姿はふつうの人間のように見えるでしょう」
 
 ノラの体に合わせた道具を作る必要があるため、ノラは研究室へと連れられることになった。エドナは、ノラを一人で行かせるのが不安だったが、ノラがにっこりと笑っていたから、そのまま行かせることにした。トーマス、モニカ、エドナ、パメラの四人は、魔族の用意した宿に向かったが、ケネスは用事があると言って、ハーマンを連れてどこかへ消えた。
 トーマスはケネスとハーマンが戻る前にと、辺りを散策する事にした。人間社会よりも発展している文明を観察しようと思ったのだ。通訳なしでも、ただ見て回るだけなら問題はなかった。
 一方、エドナとモニカは、女達の部屋でパメラと話をしていた。魔族について、エドナ達はなにも知らなかったのだ。パメラは、魔族について話せる事を話した。
「皆さんはここの方々を『魔族』と呼んでいるようですが、人間と実はさほど変わらないのですよ。確かに、おとぎ話に出てくる魔族に該当する存在ではあります。これはここの方々から伺ったのですが、私たち人間とここの方々は、もともとは同じ動物だったのだそうです。かたや草原を生き、かたや地中を生きた、その動物のグループの違いが、今の人間と彼らの違いなのだそうです。時が経つにつれて、違いが大きくなり今のようになりましたが、もともとは同じですし、先ほどのように意思疎通もできます」
 モニカは、いつだったか、生物学の学会で聞いた話を思い出していた。似ている生物には繋がりがあり、元を辿れば一つの祖先に行き着くという話だ。生物は世代を経るごとに絶えず変化しており、現在の種が古代からずっと続いて来たわけではないというその主張は、教会の世界観に合致しないという理由で打ち捨てられ、その研究者も日陰の存在であることを強いられている。学問に宗教が干渉する様に苛立ち、モニカはその世界から身を引いたが、その時のその発表は時折モニカの心の中で響いていた。人間は絶対者ではないという認識は、モニカの心を軽くした。
 そして、魔族という呼び方もまた、人間の狭量な価値観から生まれたものだと知らされた。ここにいるのは、ほとんど人間と同じである。未知の者を恐れるあまり、それが魔の者であると人々が感じた結果、彼らは地中に住む魔族となった。ただ、それだけのことだった。
 モニカは言った。
「魔法……その、不思議な力について教えて頂きたいのですけど」
 魔法もまた、未知の物に「魔」と名付けただけのことであってほしいとモニカは思った。
「実際のところ、本当の仕組みはわかりません。ただ、私は概念に触れる事が出来て、それを取り出すことが出来る。それだけなんです」
「さっきも仰ってましたけど、その『概念を取り出す』ってどういうことなんですか」
「私の感覚で説明になるかわかりませんが……私たちが知覚しているこの世界とは別に、概念の世界があるんです。私たちの世界は、その概念から落ちた影のようなもので、本当の姿はその概念の世界にしかない。私はその世界に手が届く、という感覚です」
 モニカの理解は進まなかったが、しかし精霊やら神やらを持ち出されて説明されるよりは検討するに値する言葉だと思った。これ以上は自分で体験してみる以外にないのかもしれないと思って、それ以上の問いを避けた。
 エドナはノラの帰りを待ち遠しく思っていた。魔法がどんな仕組みで動いていても別にかまわない。そんなことより、ノラが本当に魔法を使うようになったら、どうなるのかと考えていた。魔法など普通の人間は使えない。それはパメラの言葉が示した通りだ。ノラが魔法を使えば、普通の人間はノラを魔女だと思うだろう。魔法を使っているのだから魔女で間違いではないのだが、魔女の印象は良くない。ともすれば、その力が迫害の理由になるかもしれない。そんなもの、最初から使わない方が良いのだ。だが、ノラはきっと使うだろう。為せることができて喜びもするだろう。エドナはそのノラの姿を想像して、深くため息を吐いた。姉として、ノラをどう導けばよいのかが分からなかった。
 しばらく三人で過ごしていると、ノラが魔族の一人に連れられて、宿までやってきた。萎縮した様子のノラは、エドナの姿を見るなりトトッと駆ける。パメラが丁重に挨拶をして、案内人は戻っていった。ノラの角はまだあった。
「どうだった?」
 エドナは帰ってきたばかりのノラに問う。ノラは首を傾げながら答えた。
「よくわからないけど、体中いろいろ調べられて……『明日には出来るから宿で待っていてください』って言われた」
 ノラの説明を補足するようにパメラが言った。
「ノラちゃんの体質の調査ですね。体質の情報が集まれば、本人がいなくてもこれは作れますから」
 ノラが他人事のように「ふうん」と言った。そのとき、ノックの音が響いた。「どちら様?」とモニカが尋ねると、トーマスの声で「入っていいか」と聞こえた。「どうぞ」と返すと、トーマスが扉を開けて問うた。
「どうもまだケネス様たちが戻ってないようなんだが、なにか聞いてるか」
 モニカは小さく首を横に振り、エドナは「いえ」とだけ答えた。既に食事をするのには少し遅いぐらいの時間になっていた。トーマスは困って、「どうする」と訊く。
「ハーマンさんもついてるんだから、ケネス様なら大丈夫よ。仕方ないから、私たちは私たちで先に食べに行きましょ」
 モニカがそう返してトーマスが頷くと、五人はそろって食事へと出た。
 茸や山菜など材料にしているらしい、パメラ以外の四人が見たこともない料理を食べる。体験したことのない不思議な味つけで、トーマスは面白いと感じたが、ノラは不味いと感じていた。毒もなく食べられる物があるだけでも幸いであったはずのノラの舌は、旅の間の食生活の変化で、少しだけ肥えていた。エドナに食事を味わう余裕はなく、モニカは味わう気分ではなかったが、皆の皿は平らげられた。
 食事を終え、宿に戻る。やはりケネスとハーマンはまだ戻っておらず、二人が戻るまでは一時待機となった。寝るまでの間、ノラはパメラに教えを乞うた。
 パメラはノラに丁寧に力の使い方を教えた。概念の世界に届くよう、外界の情報を閉じ、己の心の中に一つだけイメージを持つ。最初は光を取り出すのが一番簡単だとパメラは言い、ノラは真剣に訓練にとりかかった。エドナはそれを不安げに見つめながらも、ノラの真剣な眼差しを愛おしく感じていた。
 時は静かに過ぎてゆく。夜も更け、それでもケネスたちは戻らない。あまりに遅いので、トーマス、モニカ、エドナで探しに行くことになった。
 トーマスは一人で、モニカとエドナは一組となって捜索にあたる。広い街だが、先ほど立ち寄った荘厳な建物から宿までの道のりと、そこに合流する細い道を中心に手当たり次第探した。ほとんど人通りのない道を歩いて、細い道をのぞき込み、入って、曲がって……そんなことを延々と繰り返した。だが、成果は全く挙がらなかった。
「こんなんじゃ、見つかりっこないかもね」
 モニカは疲れきって弱音を吐いた。無論、建物の中にケネス達がいた場合、この方法では見つかるはずもない。「少し休もうよ」と言って、モニカは道ばたに膝を曲げて座り込んだ。エドナも隣に、同じように座った。
「やれやれ、なんだか疲れちゃったなぁ」
 声を上げるモニカの頭に、エドナはそっと手を伸ばして、撫でた。ノラが隣にいるときと変わらない高さに頭があったからというほとんど条件反射的な行動であったのだが、モニカは「うぉう」と驚いた。その反応にエドナもびくりと腕を縮こませる。エドナが謝ると、モニカは気恥ずかしそうに「べ、別にいいのよ、撫でても」と中空に目を泳がせた。
 少し遠慮がちにエドナはまたモニカの頭に手を伸ばした。それを何でもないように振る舞いながら、モニカは一人で話し始めた。
「うちさ、兄貴が三人いるんだよねぇ。あたしが末っ子でさ。本で叩かれることはあっても、撫でられたことなんて無かったなぁ。ま、あいつらに撫でられてもイヤだけど」
 エドナは相づちを打ちながら、そっと撫で続ける。ノラよりも繊細な髪だと思った。モニカは尻を少し浮かせて、エドナの方に体を寄せた。
「あたしねー」
 言いながら、モニカはエドナの肩に頭をもたれる。エドナは「近いな」と思ったが、伸ばしていた腕で、モニカの背中から頭を軽く抱えた。モニカが続けた。
「あたし、エドナのことさー……」
 言葉を繋げず、細切れに語るモニカをエドナは待った。
「……もっと、いろんなエドナを知りたいんだよね」
「私を、ですか?」
「そ、エドナをです」
 エドナは返事に窮した。それは、モニカの発言の本当の意味がよく分からないからであった。もともと背景などなく、本当にただ貧しく暮らしてきただけの卑しい女だ。モニカに与えられる知識など持ち合わせていないと、エドナは思った。
「そんなこと言われても、なにもありませんよ」
「あるんだよなぁ、これが。エドナがさ、何をするとうれしいのか、笑えるのか、どんな物が好きなのか、嫌いなのか、何をされると怒るのか……あたしの知らないこといっぱいだよ」
 エドナは不思議な気分になった。自分の好きなことに興味を示す人間など今までいなかったからだ。自分に何ができて、自分が何をしたら対価を得られるか、他者との関わりで考えるべきはそればかりで、自分が何を好むのかということは問題にならなかった。かつては父や母が、エドナは何を好むのか気にかけていたことも多少はある。しかしそれも数年前に失われた、過去の環境。思い出の中の、最早それが本当にあったのかさえわからない、薄らいだ霧の中の出来事だった。
 そして、ノラ以外でこの距離に入ってくる人は他にいなかった。これをもしかしたら「友達」と呼ぶべきなのかもしれないとエドナは思った。
「もしかして、私とお友達になってくれるんですか?」
 そう問いかけると、モニカはきょとんと瞳を丸くしてエドナを見た。そして少しして、ふっ、と鼻から息を吹き出したかと思うと、次の瞬間には「ひひひひ」と笑顔を見せた。
「まあ、そんなところかな。『お友達』ね。そうよ、あたし達はお友達」
 モニカはそう言いながら、セントから着け続けているネックレスを右手で弄った。エドナもそれを見て、自分の胸元のアクセサリを触った。「あの日から、モニカさんは友達でいてくれていたんだ」とエドナは思った。
 ふと、遠くで誰かの声が聞こえた。二人はその方向に耳をそばだてる。それは、トーマスが自分たちを呼ぶ声のようだった。
「モニカ、エドナ、いないか!」
 慌てて二人は立ち上がり、声の方向へ駆け出す。細い路地から大通りに出ると、トーマスと、トーマスに肩を借りた血塗れのハーマンがいた。ハーマンがこれほどまでに傷ついていることがエドナには信じられなかった。怪物じみた戦闘力を持つハーマンだ。相手がそれ以上の怪物でなければこのようなことにはならない筈だった。
「何が、あったんですか。ケネス様は」
 エドナはトーマスとは逆側の肩を支えながら問うた。ハーマンは濁った声で答えた。
「私は、止めたのだ……ケネス様を、止めた、が、止められなかった」
 言葉もとぎれとぎれに、ハーマンは咳き込んだ。トーマスが乱暴に言う。
「しゃべらせるな、爺さんが死んじまうだろうが! おい、くそじじい、息を整えろ、死ぬんじゃねえぞ。とにかく、宿まで運ぶんだ」
 突然のことに、エドナもモニカも、混乱していた。それはトーマスもほとんど同じだった。とにかく、ハーマンの口から話を聞くしかない。重い体を引きずるように、四人は宿へと向かうのだった。



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