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そして、その球団は壊れた。

カテゴリ:小説  投稿日:2015/06/04

 あるところにプロ野球チームがありました。順風満帆、というほどではありませんが、それなりに勝ち、地元の住民を中心にそれなりにファンもいて、それなりに興行収入もありました。

 あるとき、オーナーがとてもいいことを思いつきました。
「そうだ、無駄を省いて経費を削減したら、もっと利益があがるぞ」
 オーナーはさっそく、無駄な経費の削減に取りかかりました。

 最初に削ったのは、二軍でした。
「一軍に上がることさえできない奴らに金を払うなんてとんでもない。全員クビだ」
 それを聞いた監督は、選手育成や、怪我や不調で前線を離れた選手の調整の重要性を強く訴え反対しましたが、聞き入れてもらえませんでした。

 次に目をつけたのは、控えの選手でした。
「ベンチに座ってるやつらの半分くらいは試合に出てないじゃないか。代打も代走もそんなに使わないだろう。良い選手なら、スタメンで起用するはずだ。控え選手は無駄だな。クビにしろ」
 それを聞いた監督は、選手には好不調や対戦相手との相性があること、得意分野に違いがあること、万が一怪我をしたときの交代要員の重要性を説きましたが、「甘えるな。いるメンバーで戦略を考えるのがお前の仕事だ」と一蹴されてしまいました。

 残ったのは先発投手六人と抑え投手一人、その他のポジションにつき一人ずつの合計十五人。監督は最低限のメンバーで闘うことを余儀なくされました。

 それでも、ファンの期待に応えるためにチームは必死で頑張りました。しかし、ペナントレースがはじまって二週間ほどを過ぎたころに、事件が起こりました。打撲です。ある投手が、ピッチャー返しの打球を避けられず、肩にぶつけてしまったのです。幸いにして骨折などの大事には至りませんでしたが、少しの間戦線を離れざるを得ませんでした。

 監督は、残った投手たちに言いました。
「あいつが戻ってくるまで、登板間隔が短くなって苦しいだろうが、頑張ってほしい。お前らだけが頼りだ」
みんなは良い返事で応えましたが、そのとき既にある人物に異変が起きていることに、まだ誰も気がついていませんでした。

 その翌週、チームは一勝もできませんでした。前半はそれなりに調子のいい日もあったのですが、終盤になると立て続けに点を取られる。特に抑えの投手に代わった瞬間、ボコボコと打たれてしまうのです。ようやく、監督は気がつきました。抑えの投手がもうヘロヘロで使い物にならなくなっていたのです。
 抑えの投手は、中継ぎ投手のいないチームを必死で支えていました。時には7回から投げさせられることもありましたが、それでもへこたれずに、ほとんど毎日登板していました。しかし、肉体は限界を超え、まともな球がもう投げられなくなっていたのでした。

 監督は、しばらくこの抑え投手を休ませることにしました。しかし、そうなると先発投手たちは交代なしの完投をしなければなりません。もちろん、途中で他の先発投手に交代させることはできますが、そうすると今度は先発ローテーションがますます悲惨なことになります。背に腹はかえられないと思った監督は、ひと言指示を出しました。
「何十点とられて負けてもいいから、とにかく完投してくれ」
 試合を成立させることだけが目標になった瞬間でした。

「悪夢の三十連敗」とスポーツニュースで報じられ、監督は毎日のようにオーナーからの叱責を受けていました。監督は「選手の増員を、お願いします」と頼み込みましたが、「負け続けてファンも離れてきている。新たに選手を獲得する資金は出せない。入れてほしければ、まず勝て」と突き放されました。

 夏の生臭さが漂ってきた七月。セカンドを守っていた選手が、足を挫きました。「勝て」と言われて「勝つしかない」と思い、勝利のために少々危険でも必死にボールに飛びついていった彼は、チームのキャプテンでした。「まだ戦えます!」と彼は言いましたが、監督が止めました。医者も首を縦に振りませんでした。

 内野の穴をどう埋めたものか、監督は悩みました。オーナーは「ショートのあいつが確かセカンドの守備もできるって聞いたぞ」と言っていましたが、もちろん分身ができるわけではないので兼務はさせられません。悩んだ末、外野の守りを二人にし、センターを守っていた選手をサードに、サードを守っていた選手をセカンドに配置することにしました。「ゴロにすれば、なんとか打ち取れる」という判断でした。

 しかし、九人揃っていない状態での試合は流石に相手チームから「なめてるのか」とクレームを入れられました。そこでオーナーがやっと、新たに選手を獲得してくれることになりました。

 やってきたのは、五十を過ぎたロートル選手でした。経験はあるので守備の捌きはそれほど悪くありませんでしたが、いかんせん体力がなく、足は遅いし打てない。しかも、疲れるからという理由で試合に出るのは5回までという契約になっていました。仕方がないので、6回以降は監督が自ら試合に出ることになりました。

 無様な戦いが続きました。連敗数や1イニング中の最多失点は永遠に球史に残るほどのものとなり、夏真っ盛りの八月のある日のデイゲームで、ある選手が熱中症でその場に倒れ込んだ瞬間、それに合わせたかのようにチームの全選手が、その場にへたり込むように腰を下ろしました。それは、完全なる試合放棄でした。

 球団はリーグに所属することができなくなりました。新聞には「前代未聞!」と見出しがつけられ、大きく報道されました。こんな形でのプロ野球チーム解散など、それまで誰も想像したことがなかったのです。

 それから元監督は、体調を崩して入院しました。長い時間をかけ復調しましたが、しかし退院してからも、夜に寝ているとき、彼はよくうなされて、同じことを繰り返し繰り返し、寝言で言うのだそうです。

「あと一人、誰でもいい、お願いですから、あと一人だけでも、選手を入れてください……!」

 その言葉が誰にも届かないことをさえ、知ることなく。



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